この度のタバコ問題アレコレ

実はここ最近も何本も映画を見まして、まあいつも何本も見てるんですけど、そんでこのブログも映画レビューブログにしたかったんです、だから下書きに書きかけの映画批評がどっさりあって……書き始めると長いからどれも未完です。辛い。忙しいんです俺は。忙しさは人を殺す。あとブログも殺す。

まあそんな感じで年間何本も何本も映画を見るわけです、わたくしは、

ちなみに個人的なことを言うと私は音楽を専門に勉強しています。前にも書いたことがありますが、声楽を専攻しています。
高校も大学も音楽、芸術専門の学校です。
高校とかは、音楽科と美術科があったんですけど、全員キチガイでチョー楽しかったのでまたいつか書きます多分。

親も祖父母もみんな芸術一家で育ったのでクラシック畑育ちの生え抜きで、他に興味のあることも、長く続けたこともなかったので、音楽の道を選んだわけですが、(父親はサッカーで日体大だし、伯母はバレエ(踊)で日体大だし、母親はバスケット選手でしたがみんな音楽をやっていました。)
音楽以外にも、美術や映画が大好きです。
(ほんと、その辺にしか興味がなくてすみませんという感じ)

まあ個人的なことはさておいて昨今問題になっているのは映画内での喫煙シーンですね。
わたくしの考えとしては、映画とは芸術であり、常に正しい社会のあり方を投影するコンテンツであるべきではない、としています。
しかし今、映像、動画、ニュースメディアの発達により、
動画コンテンツ=社会のありのままを映し出すモノ
という認識が広がっているように感じます。
これは由々しき問題であります。本当に。
映画はテレビ番組とは違います。

例えば音楽や絵画、彫塑、小説。写真なんかは、どんなに過激になったって、どんなに社会を風刺する内容になったって'芸術'としての側面を失うことはなく、多くの人たちに受け入れられ続けています。
しかし動画となると、マスメディア的要素がどうしても強くなってしまうのです。

では、喫煙をする若者の絵画を描くことを禁止するか?未成年喫煙シーンの出てくる小説を書くことを規制するか?

これは喫煙描写規制に限った話ではない。
表現の自由、と言うと非常に陳腐だけれど、監督や演出家、それに関わる多数の'芸術家'たちの感性、メッセージ、美学が否定され続けていけば、いつか芸術としての映画作品は滅びてしまうでしょう。

このような極論的意見を述べるのは不本意なことですが、映画というメディアの根幹を理解しない浅はかな人間によって、映画産業そのものが弱体化してしまうことだけは避けられたい。

多くの人々が、映画芸術を愛しているのだから。